私のメッセージ 卒業年度順(敬称略) 現在
 
〜昭和30年  〜昭和40年  〜昭和50年  〜昭和60年 
 〜平成10年  平成11年〜  保護者等卒業生以外

卒業年度 お名前 メッセージ
〜昭和30
昭和27年卒 匿名 我々が卒業した「城南高校併設中学校」が既に消滅し、卒業母校が無くなっているのに、更に追い打ちを掛ける様な「城南高校」迄廃校にして、中学・高校と母校の歴史や思い出が消滅する事は、絶対に許せない!
〜昭和40
昭和33年卒 辻英子 母校が、廃校になるとは? ショックですね。大学迄はいけなかったけれど、私の最高学歴の場を孫子にも伝える、知ってもらう場所もなくなるのは、実家が途絶えるのと同じ淋しさ悲しさを、感じます。
行政は次々と廃校する事よりも、少子化問題にとりくんでもらう事の方が大切だと思います。
昭和38年卒 江守順子  府教委は、城南高校を統廃合する理由をはっきりと説明をせよ。在校生も卒業生も、地域の人たちも、納得できません。経済効率一点ばりのやり方では、真の教育改革も経済性もできません。生徒ひとりひとりに、時間とお金をゆったりしっかり使ってこそ、人として育っていくと考えています。今の教育に一番不足しているものを、これから充分に与えていけるよい機会なので、統廃合を取消し、別に養護学校を設置せよ。
〜昭和50
昭和45年卒 小林史郎  何にお金を使うのかで、その社会や地域の値打ちがわかるのではないでしょうか。
 子どもや青少年の発達・成長のために、高校をなくすべきものではなく、充実させるべきものです。
 城南の地域に恵まれた伝統を二十一世紀にいっそう前進させることを望みます。
昭和45年卒 中坊善子  楽しい思い出がいっぱいあった高校時代。
 あの頃は、まだ電化されてなく、国鉄の列車で、1時間に1本しかなく、乗り遅れると大へん、一番南の学区から通学していました。
 城南高校の前を通るたび、懐かしく思います。その母校がなくなるのは、とても寂しいです。
昭和45年卒 山本澄子 古本市で日本戦没学生の極度に痛ましい手記“きけわだつみの声”の初版をみつけました。戦争を知らない子供達ー世代の私ですが、彼らの苦悩と絶叫に累々涙し言葉も失いました。戦争と廃校とは事態は異なるものの無惨にも若者の思い出や夢を奪い利権のみしか追求しない策略に彼等の狂乱と抵抗の声に共鳴するものがありました。私の青春の原点、城南高校と友と語り合い通ったグランドを、くりくまの丘に永遠なれと切望し賛同します。
昭和47年卒 西村龍也 城南高校の統廃合に反対します。
昭和48年卒 山崎眞理子(旧姓佐藤) 他の場所に移して、名前だけ城南高校の名前だけ残してもらっても、少しもうれしくない。「くりくまの野辺」にないのなら、意味が無い。
〜昭和60
昭和51年卒 利倉功豊 卒業した学校が無くなるのは、非常に残念なことです。青春時代を過ごした城南高校、その高校の名前だけでなく、城南高校そのものの存続を願います。
昭和51年卒 藤井信也 養護学校の建設については、促進する必要がありますが、城南高校廃止については承服できません。後期中等教育は、今後義務教育にしてもおかしくないといえます。そうした中での高等学校の統合再編は、まさに時代に逆行した愚行であると、断言せざるをえません。
昭和59年卒 竹内康夫 わが母校がなくなる?というのは寂しい限りです。僕の母も第6期生で、僕自身は第36
期生。親子2代にとっての母校でもあります。
高校生活は、大人の社会で町内会に集会所があるのと同様に、その世代にとっては学校
という場こそが地域コミュニティを体現できる場だと感じます。それこそ、幼稚園から小学校、中学校、高校までずっと同じクラスの級友だっていたくらいですから…
〜平成10
平成9年卒 高木研統 何千人と卒業生を出した伝統ある城南を今流行の改革と言う名のもと
で潰そうとするのはおかしいと思う。教育委員会のメンバー何人で考えているか
知らないが勝手に決めないで欲しい。
平成11〜
平成16年卒 高見洋平 城南高校は勉強ができる人が少なくても、グランドが遠くても、校舎が汚くても、他の高校以上に先生や生徒同士の厚いつながりがある、すばらしい自由な高校です。府教委はもっと城南高校の良い点を評価し、廃校を撤回するべきです。
同窓生以外

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